シニアはブログ書くだけで充分なことに気がつく

最近、ピアノを弾いていて感じることがある。これはPCのタイピングと同じだ。①出したい音のイメージがある。②それに相応しい鍵盤を押す。③音を検証する。の繰り返しだ。文章を書くこととまったく変わるところがない。"思いつき・抽象的な概念を音か文字に変換して自分にフォードバックする"、すばらしい創作ではないか。自分がブログをこれだけ執拗に続けれられているのも、この共通項があるからだ。この創造が楽しいのだ。もしかしたら、現在、アウトプット先のないピアノをやめてもよいのかもしれない。

ブログは変幻自在だ。匿名性が担保されて、乙女に擬態化することも、意識高い系にも、学者にもなれるし、ナンパ外道・ネガティブ野郎を演じて毒を吐きちらしストレス発散することもできる。いわゆるペンネーム小説家と同じだ。そして、2万円程度のネットブックでどこでも活動できる。2週間ほど前の平日の昼間に郊外のマクドで行き場所のない老人だちを見た。哀れだなとおもって観察してみると、PCを持ち込みWifiとつないで作業をしていた。"イケてる爺さま"に評価が逆転した。

誰に見られなくても評価されなくても気にしない。反対に、注目されてアンチ攻撃されるほうが面倒だ。その時には消せばよいだけだがね。"見られている"意識だけが大事だ。それが継続のモチベーションになったり、文章校正の一手間になり脳をさらに刺激することになるし、ストレスに感じるなら適当でよい。対価がある訳ではない、自己満足できる限度バランスでよい。そして、まったくの錯覚なのだが、ある程度の擬似コミュニケーションにもなる。

そして費用がかからない。一昔前だったら、製版・出版などと、どんでもない道楽になっていた。もらうほうも迷惑だっただろう。私も昨年に大学名誉教授さんからお義理で自費出版の写真集・論文集を沢山頂いた=押し付けられたが、帰り道に古紙回収コンテナーに入れてリサイクル社会に貢献していた。自費出版とは実に社会的な行為だ。

★途中のまとめ
・シニアの趣味は、日記・ブログ等の作文だけで充分、音楽・写真・絵などの特殊スキルはまったく不要だ。
・日本語は、我々が平等に義務教育された表現ツール・スキルだ。
・もの書きにボケはいない。作文はとても有効な認知症予防策だ。
・脳への血流促進と栄養供給、健脚さの維持、疾病の予防されしておけば往生できる。

悪趣味だが、今後は、カフェにPCを持ち込み、客を観察して記事を起こそうかな。ノマドワーカーみたいでかっこいいし、、。姉ちゃん来るからスタバかな?。流行らない古民家カフェのDisりレポートとかもよいかもね。機材もスキルも不要でお手軽なので発展性はいくらでもあるぞ。それに、この作業にかかっている時間は無駄ではない。お稽古ごとでの金と時間の浪費に比べると、ボケ防止効能に対する費用対効果は比較にならないほど良い。

ただ映像コンテンツを眺めているだけでは、確実に脳の一部は退化して動かなくなる。かといって、私のように喋る相手がいない独身シニアもいるだろう。私は特にその方々にお奨めしたい。このように文章を書いているのは喋っているのと同じ脳を使っているとおもうからだ。私の場合は、口も動かしながら文章入力している。

これだよ。これぞ、ミニマム"老人"ライフだ。


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by 1959-01-28 | 2018-10-13 12:32 | 雑感・お知らせ・老人一人暮らし | Comments(0)